嫌われる勇気

嫌われる勇気という言葉をにしたことがある人は少ないのではなかろうか?

最近では、あの時の人、宮崎県知事の東国原知事の副知事及び県議会などの話題に対しての、マスコミ各社への対応でこんな言葉をにした人がいるかも?

 

自分を客観視できれば

そもそも、この嫌われる勇気は、誰もが持ち合わせなければならない事で、特に会社での上司はこういった嫌われる勇気を持ち合わせていないと、部下の育成のみならず、人事考課についても、判断を鈍る結果を生み出しえないものとなる。

自分自身がこの嫌われる勇気を身につけたのは遡る事かなり前の思春期であった。

 

そんなぁ

誰もが舞い上がるその美少女を目にした男どもは、皆の下を伸ばし、その美少女をちやほやともてはやした。

しかしながら、そうしたもてはやされたその美少女は大変な心の痛手を負ってしまったのである。

誰もいないその部屋で泣きじゃくるその美少女、その悩みを打ち明けられた時に、神は何故、この大役を俺にとその驚愕な内容に心を大きく揺さぶられてしまった。

ああ、そうなんだ、1人くらいは反対の意見を持たなければいけなかったんだと思ったのは、時既に遅し・・・

あの日から、老若男女を問わず、この嫌われる勇気を持つ自分が今もここにいる。
にしても、その美少女もTPO(時・場所・状況)を持ち合わせていれば、あんな痛手を負うまでもなかったのに・・・

そう、俺も本当は関係ないのかも?
だけど、配慮の足らなかったのは当たり前のその思春期時代、人様によればそんな経験までしないものを、何故俺が、早くに・・・と、思えてやるせなくなることも多々ある。

反面教師が時には正しい道へと導く事もあるし、この国を動かす国会においても、民主主義であるが故であっても、反対意見を述べる、いわば、嫌われ者が存在しているのを思うと・・・

いずれにせよ、我が責任となる事ばかりを重んじるために、部下を賢くないものに、いや、わが子を賢くないものに育てないためにも、もはや、こういった嫌われる勇気を持つ事が大切なんだと、自分自身をなぐさめるしかないのかな?